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お題「ニーナ」 #ヘキライ

「ニ~ナ🎵」
それはローラのまちがいでしょ。それにニーナは傷だらけじゃない。すばやくするどい的確なツッコミが入る。
「サラダ~🎵」
ヘルシーだな。先ほどと同じ音階のセリフを聞き少し驚いた表情を見せた。
「インド~🎵」
そんなにカレーが食べたいんかい!
漫才の右手側に立つスーツ姿の毛髪が極端に少ない男性は左側の相方のフサフサであるあたまをテンポよく叩いている。もちろんツッコミとしてだ。それを私は自宅のティービーでオレンジ色のソファーに座りながら観る。
なんともまあその相方はそんなに叩かれて頭皮がやられないのかが私の昨今の心配事である。むしろそれが頭皮へのよい刺激になりまるで育毛効果があるように見える。でも、それはたぶん、そう見えるだけでありそのような効果は一切ないだろう。そんなことを考えていたら急に天井から桶が降り私は気絶をしてしまった。

ボランティアの未来と人とのつながりについて

 ボランティアとは、巷でよく聞く言葉だが、実際の中身については、よく知らない人も多いのではないか。辞書では、自由意思を持って社会事業・災害時の救援などのために無報酬で働く人とある。無報酬とは、つまりただ働きともいえる。いったいこの現代にただ働きをする人は、果たしているのだろうか。そんな暇な人は誰なのだ。

 その一つは、定年退職者である。きっと時間がありあまっているに違いない。しかし、人によっては、趣味のゴルフ三昧に興じるものもいる。だから、あえて時間が空いている人は少ない。それはどの世代も同じであろう。暇だからといって、ボランティアをしている訳ではないのだ。

 では、なぜ人はボランティアをするのだろうか。我が国では、東日本大震災で多くのボランティアが活躍したという。災害復興は現在も続いているが、いまなお継続して活動している支援者には頭が下がる。まさに社会貢献といえる典型例だろう。

 一方で、経済活動と比較すると、経営者や労働者は、究極的に見ると自己の利益のために行動している。たとえば、日々の生活のためだったり、さらなる資産を増やす目的だったりする。これはもちろん私益を追及するための行動だ。しかし、これらは社会事業でもなく、無報酬でもないと言い切れるのだろうか。

 企業は利潤を追い求めているとはいえ、社会に貢献している。具体的には、サービスの提供や物の取引だ。社会を形作っている主役といっても過言ではないだろう。そういった企業が我が国を支えている。

 次に報酬面である。さすがに企業は無報酬を前提とした活動をメインにすることは難しいだろう。サービスの対価としての報酬が前提にある。しかし、CSRという指標がある。企業がどれだけ社会貢献をしているのかという指標だ。たとえば、ユニクロを運営しているファーストリテイリングはニューヨークでシェルター生活を余儀なくされている子どもたちに教育プログラムの一環として、アーティストとのワークショップを開催している。子どもたちが将来の夢や目標を目指すとき、この経験が生かされるはずだ。

 私の身近なボランティアはなんだろう。たとえば、子ども食堂がある。近年、子どもの貧困が社会問題となっており、その対策は地域の住人がその主役を担っている。しかし、これは活動している本人たちに言わせてみれば、ボランティアといえるのだろうか。むしろ、人助けに近い感覚かもしれない。こういった日本のボランティアは、支え合いとして機能している。

 これからのボランティアとして、何が注目されるのだろうか。現在、モノ消費からコト消費に人々の価値観が変化している。それゆえ、地域のために何かをする、困っている人のために、いまの自分にできることをする選択が増えてくるのではないか。なぜなら、その行為は人格的な行為であり、相手や自分を人として見て、関わり合う機会となるのだからだ。それは普段ある関係とは違ったものとなるだろう。

 いきいきとこの時代を生きるためには、つながりや絆が大事とはよく聞くが、端的にいうと、相手も自分も同じ人として接することだとこのところ思う。ボランティアはその入口の1つだといえる。

素敵な本と出会える場所は、素敵な本読みが知っている。

前回予告した本を買う場所について書いてみたいと思います。

いったい素敵な本はどこで出会えるの? と疑問に思っているそこのあなたへ、

 

いきなり結論から言うと、本をテーマとする会合に参加するべし!

 

私はいままで新刊書店(新品の本を売っているお店)やブックオフなどの中古販売をしている大手のお店を利用していました。

その点メリットは、新刊書店については、世の中の流れや流行、求められているもの、売りたいものなど、社会の雰囲気を本を通じて知ることができるところが私は好きでした。

また、ブックオフについては、過去のベストセラー作品ならば、100円で販売されているのもあり、重宝していました。

 

しかし、最近では私が本を手にする場所が変わりつつあるかもしれません。

きっかけは、読書会や本をテーマとするイベントなどに参加することでした。

読書会は、本について語り合う会です。たとえば、同じ書籍をみんなで読んで感想を言い合うスタイルの読書会や、自身のおすすめの本を参加者に紹介するスタイルの読書会などがあります。

また、本をテーマとするイベントでは、その日は、一箱古本市など書店の多様性について語られていました。

一箱古本市とは、段ボール一箱分の量の本を使って、フリーマーケットのように、各人がお店を開く市です。本好きの店主が、そのこだわりの選書で出品します。

そのような会合に参加するなか、本そのものを語る上でさらに、他の本好きたちが行く書店が話題になることがあり、そこで知った書店はあとでこっそり行ってみたりしています。

 

そう! 本は一人で読むものですが、本周りの楽しさは共有できるのです。

他にも、紹介してもらった本を偶然に書店で見つけて買ってみたり、自分の紹介した本をきっかけに、さらに新しい情報をもらったり、アメーバ的なつながりを持って、さらに本好きは加速します。

 

つまり、いままでの本との付き合い方が変わっていくでしょう。

もっともっと自由に本と付き合えます。

「自由に」とは、過去の自分のパターンを超えて行動することです。

本との出会い方を通して、自分の殻を破る瞬間がきっとあるはずだと思います。

 

そもそも、本との付き合い方は多様にあったのです。

つい最近では、じっくり一人の作家と向き合う。

話題になっている本を手に取ってみる。

いま自分に必要な内容の実用的な本を読んでみることがほとんどでした。

それだけではなくさらに、顔見知りの一箱古本市店主のおすすめを聞きながら、本を購入する。あとでインターネットで調べてみる。

また、冒険するような気持ちで、まだ見ぬ書店・古書店へいってみる。

もしかしたら、一箱古本市の店主として、読書会の主催者として参加することも、結果として起こりうると思います。

 

ただ、残念なことが一つだけあります。

そんな楽しい読書会や本のイベントですが、個人が開催しているものが多く、もちろん永久には継続しないということです。

私の好きだったあの読書会も、現在休止中になっています。

だから、もしよかったら、自分の好きなイベントを応援してあげてください。

それはきっと自分のためにもなるし、相手のためにもなるはずです。

本の楽しみは、向こうからやってくるのではなく、いまからここから、あなたから始まるのです。本当ですよ。

ドラえもんのび太と雲の王国と本を買う場所について

漫画の「ドラえもん のび太と雲の王国」を読んだ。これは、作品が長編映画として放映される頃、同時にコロコロコミックに掲載された漫画だ。

 

その内容は、のび太が天国はこの世に存在しているはず、と天国研究をしているところ、それを見かねたドラえもんが天国を見つけるのではなく、雲の上に天国をつくろうとすることから物語は始まる。

 

私が印象的だった一コマは、気象衛星や監視衛星の存在によって、天国の存在を否定されたのび太が、自宅2階の窓から空を見上げ、「ユメのない世界ってつまらないなあ……」と、ぼやくシーンだ。そう、空想を広げ天国という存在について前向きに調べていたのび太が、現実的な問題にぶつかった場面である。

 

この場面は物語を通して、もっとも物語から離れているのではないかと思う。なぜなら、夢や理想を思い描きそれを行動に移していたが、急に現実的になり、やめてしまうからだ。とても人間らしく思う。


むしろ、まるで作者の日頃の思いが漫画に乗り移ったかのように感じた。現実の人間が、現実の思いを吐露する重さがそこにあった。

 

その誰しも感じたことのあるような気持ちの描写が、僕をこれから展開する物語へと引き込んでくれたのだと思う。結局、普通の人間像を描くことが物語に肝要な部分ではなかろうか。物語内にある普遍性にこそ、はっとさせられた。

 

さらに、この漫画を買った場所についても、文章を書こうと思ったが、それはまた今度にする。

素敵な本との出会い方は、本読みが知っているお話。

 

 

中古ゲームを楽しむ。

中古ゲームは、値崩れしない。たとえば、中古の価格として20年以上前に発売されたポケットモンスターの赤は、近所の店舗だと500円だった。当時の新品の価格は、4,5千円くらいではないか。現在新品だと1万越えをし、プレミア価格がついてある。いったい誰が買っているのか。

 

私の予想では、社会人ではないか。生徒や学生の年代は、同年代の友人と同じゲームを遊ぶ傾向があり、私の少年時代はそうだった。いまの子供たちは、スマートフォンのアプリをゲームとして利用しているのだろうか。20年以上前に発売された中古のゲームをプレイする小学生も珍しいだろう。

一方、社会人のクラスメイトである同僚や上司及び部下は、同じゲームソフトの感動を共有することはめったにないだろう。反対に、共有できるのであるならば、それはそれで貴重だと思う。

 

なぜ、私が中古ゲームに注目したかというと、価格が安く、面白いと感じたからだ。名作ゲームは時を超えて、私の関心を惹きつける。いま私がプレイしているのは、DSのマリオカートだ。マリオカートスーパーファミコン版やニンテンドー64はプレイしたことがあるが、DS版は初めてだ。マリオカートはゲーム機の本体が新しく販売されたとしても、どのハードでも採用されるゲームソフトである。いわゆる名作の一つといっても過言ではない。


中古ゲームの弱点は品揃えが悪い点だ。欲しいソフトがあるとは限らない。また、いまなお人気のあるゲームは、私が想像していたよりも価格が安定している。掘り出し物を探す感覚で付き合うことが、中古ゲームを相手にした楽な姿勢だと思う。

 

てなわけで、私は中古のゲームをプレイすることを、日常の些細な喜びにしている。価格が安く家の中で遊べるゲームは、お手軽な楽しみである。久しぶりにプレイしてみるとはまりそうだ。

買わない技術

 昔、編集のワークショップに参加したことがある。そのとき、書籍の企画を一本作り、プレゼンすることがあった。記録として、書いてみたい。

 

タイトル「買わない技術」

 

問題提起

なぜ企画してみたのか。それは、私が不必要なものばかり買ってしまうところがあるから。特に服である。セール時に安い服を買ってしまう。

 

課題

1 メンタルが弱い(誘惑に弱い)

・手癖で商品を買ってしまう

・暇だから買ってしまう?

・あまり趣味がないから買ってしまう

 

2 技術がない

・能動的に計画的に買っているのか

・受け身で商品を買う恐怖

・自分で人生を選んでいない?

 

対策

1 メンタルをつけましょう

・友人をつくる

・新たなコミュニティーに入る

・趣味を見つける

・自分が行動できる範囲をつくる

 

2 技術をつけましょう

・必要なものを買う

・ストレス解消に買っていることを意識する

・なぜつい買ってしまうのか

・買う目的を意識する(食費、エンタメ費)

 

まとめ

・本当に自分が時間とエネルギーを注ぐ対象はなんだろう

・自分の限りある行動資源を大切にしたい

 

著者

心理学系の専門家を予定している。人が買ってしまう行動を、心理学の理論の面から説明することで、説得力のある文章にしたい。

 

類書、売り場

・ライフスタイルの棚、片づけ本、ミニマリスト

・類書との差は、物を所有することにおいて、購入するというものを増やしてしまうという入口から、持ち物をコントロールしたらいいと考えた。いくら物を片づけたり、少ない持ち物で生活したりする上でも、物を買う量をコントロールすることは基本だと思える。しかし、物を買うことをコントロールすることを指南する書籍は全くないわけではないが、現在では少ない。少なくとも新刊書店の売り場には、なかなか置いていない。いまこそ誰かが書いてくれるといいのだが。

 

その他

・この本は、低予算で工夫して生きるための実用書である

・この内容を発表した際、外部からプレゼンを講評するために来た編集者が僕を嫌っている雰囲気があったのはなんでだろう。何か、勘違いされたのかな。疑問である。

ミッキーは谷中で六時三十分(著)片岡 義男 を読んでみて

 この本は、とてもおしゃれな本である。地の文の軽快さや言葉遊びのような会話からそう感じた。先日、読書会の中でほかの参加者と読み合った。様々な視点からの発言があった。しかし、複数人で読み合っても解釈が分かれ、いまでも理解できない箇所がいくつか存在した。

 

問1 作中の夫婦らしき二人は、仲が良いのか悪いのか

問2 二回目のキスはどういった意味なのか

問3 これは、恋愛小説なのか

 

 問1について、柴田はビリヤードができる知り合いの編集者を、ナオミがいるビリヤード場へ連れて行くことをナオミに伝えたとき、食堂を営む母ナオミは「喫茶店にはいかなくてもいいから」と言っている。これは、どういう意味なのだろう。喫茶店の店主にもう合わないでほしいという意思表示に見える。娘と店主を会わせたくないのだろうか。または、柴田と店主がもう一度会わないでほしいのか。まさか、編集者と店主が会うと再び店主に編集者がナオミを紹介されてしまうのではないか。わからない。

 

 問2について、食堂から出た後、柴田からナオミへのキスの次に、今度はナオミから柴田にキスをしている。やり返したとも言えるが、これはラストシーンであり、何か意味があるのではないかと推測する。でも、単純にやり返しただけだったりして。

 

 問3について、実質的には恋愛小説ではないが、形式的にはそうだと思う。実質的にとは、何かの出来事の結果として心動かされ好きになる等の恋愛感情の変化について描かれていないため、恋愛小説だと受け止められないところがあると思う。しかし、この小説を読んでいると形式面での恋愛が重要な気がしてくるのだ。形ばかりのキスをしても、それは恋愛といえるのではないか。それくらいキスとはただならぬ出来事だと思う。感情のやり取りがなくても、形式から入る恋愛があってもいいのではないかと、この小説は教えてくれる。まさにおしゃれ小説だ。

 

まとめ

 登場人物全員が、適当な会話を繰り広げているだけな気がしてきた。その台詞の一つ一つを深く考えてはならないのか。

 また小説は、作者の意図によって作られているはずだが、受け手は受け止めきれないことを読書会を通じて学んだ。文章の意図する内容と私が文章を読んで想像をする内容の間に生まれるグレーゾーンが、頭のなかのもやもやを作っている。それが、不思議な読後感を生み出すのだろう。