ミッキーは谷中で六時三十分(著)片岡 義男 を読んでみて

 この本は、とてもおしゃれな本である。地の文の軽快さや言葉遊びのような会話からそう感じた。先日、読書会の中でほかの参加者と読み合った。様々な視点からの発言があった。しかし、複数人で読み合っても解釈が分かれ、いまでも理解できない箇所がいくつか存在した。

 

問1 作中の夫婦らしき二人は、仲が良いのか悪いのか

問2 二回目のキスはどういった意味なのか

問3 これは、恋愛小説なのか

 

 問1について、柴田はビリヤードができる知り合いの編集者を、ナオミがいるビリヤード場へ連れて行くことをナオミに伝えたとき、食堂を営む母ナオミは「喫茶店にはいかなくてもいいから」と言っている。これは、どういう意味なのだろう。喫茶店の店主にもう合わないでほしいという意思表示に見える。娘と店主を会わせたくないのだろうか。または、柴田と店主がもう一度会わないでほしいのか。まさか、編集者と店主が会うと再び店主に編集者がナオミを紹介されてしまうのではないか。わからない。

 

 問2について、食堂から出た後、柴田からナオミへのキスの次に、今度はナオミから柴田にキスをしている。やり返したとも言えるが、これはラストシーンであり、何か意味があるのではないかと推測する。でも、単純にやり返しただけだったりして。

 

 問3について、実質的には恋愛小説ではないが、形式的にはそうだと思う。実質的にとは、何かの出来事の結果として心動かされ好きになる等の恋愛感情の変化について描かれていないため、恋愛小説だと受け止められないところがあると思う。しかし、この小説を読んでいると形式面での恋愛が重要な気がしてくるのだ。形ばかりのキスをしても、それは恋愛といえるのではないか。それくらいキスとはただならぬ出来事だと思う。感情のやり取りがなくても、形式から入る恋愛があってもいいのではないかと、この小説は教えてくれる。まさにおしゃれ小説だ。

 

まとめ

 登場人物全員が、適当な会話を繰り広げているだけな気がしてきた。その台詞の一つ一つを深く考えてはならないのか。

 また小説は、作者の意図によって作られているはずだが、受け手は受け止めきれないことを読書会を通じて学んだ。文章の意図する内容と私が文章を読んで想像をする内容の間に生まれるグレーゾーンが、頭のなかのもやもやを作っている。それが、不思議な読後感を生み出すのだろう。