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ボランティアの未来と人とのつながりについて

 ボランティアとは、巷でよく聞く言葉だが、実際の中身については、よく知らない人も多いのではないか。辞書では、自由意思を持って社会事業・災害時の救援などのために無報酬で働く人とある。無報酬とは、つまりただ働きともいえる。いったいこの現代にただ働きをする人は、果たしているのだろうか。そんな暇な人は誰なのだ。

 その一つは、定年退職者である。きっと時間がありあまっているに違いない。しかし、人によっては、趣味のゴルフ三昧に興じるものもいる。だから、あえて時間が空いている人は少ない。それはどの世代も同じであろう。暇だからといって、ボランティアをしている訳ではないのだ。

 では、なぜ人はボランティアをするのだろうか。我が国では、東日本大震災で多くのボランティアが活躍したという。災害復興は現在も続いているが、いまなお継続して活動している支援者には頭が下がる。まさに社会貢献といえる典型例だろう。

 一方で、経済活動と比較すると、経営者や労働者は、究極的に見ると自己の利益のために行動している。たとえば、日々の生活のためだったり、さらなる資産を増やす目的だったりする。これはもちろん私益を追及するための行動だ。しかし、これらは社会事業でもなく、無報酬でもないと言い切れるのだろうか。

 企業は利潤を追い求めているとはいえ、社会に貢献している。具体的には、サービスの提供や物の取引だ。社会を形作っている主役といっても過言ではないだろう。そういった企業が我が国を支えている。

 次に報酬面である。さすがに企業は無報酬を前提とした活動をメインにすることは難しいだろう。サービスの対価としての報酬が前提にある。しかし、CSRという指標がある。企業がどれだけ社会貢献をしているのかという指標だ。たとえば、ユニクロを運営しているファーストリテイリングはニューヨークでシェルター生活を余儀なくされている子どもたちに教育プログラムの一環として、アーティストとのワークショップを開催している。子どもたちが将来の夢や目標を目指すとき、この経験が生かされるはずだ。

 私の身近なボランティアはなんだろう。たとえば、子ども食堂がある。近年、子どもの貧困が社会問題となっており、その対策は地域の住人がその主役を担っている。しかし、これは活動している本人たちに言わせてみれば、ボランティアといえるのだろうか。むしろ、人助けに近い感覚かもしれない。こういった日本のボランティアは、支え合いとして機能している。

 これからのボランティアとして、何が注目されるのだろうか。現在、モノ消費からコト消費に人々の価値観が変化している。それゆえ、地域のために何かをする、困っている人のために、いまの自分にできることをする選択が増えてくるのではないか。なぜなら、その行為は人格的な行為であり、相手や自分を人として見て、関わり合う機会となるのだからだ。それは普段ある関係とは違ったものとなるだろう。

 いきいきとこの時代を生きるためには、つながりや絆が大事とはよく聞くが、端的にいうと、相手も自分も同じ人として接することだとこのところ思う。ボランティアはその入口の1つだといえる。